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2014年6月 8日 (日曜日)

THE BIG FELLAH 5

第四幕 三場 1999年3月17日 St.パトリックス・デイ

プロローグの1972年から27年後。27年前とは違って、コステロはキルトを着ていない。
このスピーチで29年務めてきた先導役を引退するという。今までジョークを言ってきたが、今日はショッキングな話をしましょう。とコステロは語る。プロローグでアメリカ人であり、アイルランド人である、と言っていたのとは違い、私はアメリカ人です、と言う。なぜ「人間です」というだけではいけないんでしょう。プロローグと対比される変化も、このお芝居で語られたかったことだろうか。
ルエリはそう言えば、アイルランドに帰りたがっていた。
ルエリの居場所はニューヨークではなくアイルランドで、コステロの居場所はアイルランドではなく、ニューヨーク。トム・ビリーもニューヨークに根を張る。
では、マイケルの居場所はどこだったかというと、あのアパートのなかの世界。

コステロはビッグ・フェラーと呼ばれたかった。家族のことで落ち込んでいたコステロにプエルトリコ人の女=カレルマが近付いてきた。そこから12年間FBIのために働いてきた。それは、三幕の前? それともルエリがカレルマにコステロが元気がないと告げた後? フランクが探していた密告者がコステロだとすると、辻褄は合ってしまう。でも、自らが密告したからルエリとマイケルが傷つくことになり、フランクへの報復の意味が薄れてしまうような。ここも、観客に解釈が任されている。

黙って身を隠すこともできたのに、ビッグ・フェラーは違う、と言ってもらいたかった。コステロのその言葉に重なる声が恐ろしい。

お前はもうおしまいだ!

コステロがプログラムにも掲載されているイェーツの詩を朗読する。
この最中にも何度もお前はもうおしまいだ!と上がる声。この声、全部トム・ビリーの声に聴こえ、違う言葉ではなく、同じ言葉の繰り返しが怖い。こういう場面なら、複数から声が上がってもいいのではないかと思うけど、戯曲を確認すると、やはりすべてトム・ビリーのセリフになっていた。

平和はゆっくりと滴り落ちてくるものだ。
And I shall have some peace there, for peace comes dropping slow.

そこに、ぶっ殺せーっ
という叫び声が重なり、暗転。
決してアイルランド問題が解決しているわけではないけれど、コステロが最後に言いたかったことは、自分は、アメリカ人である前に人間であること。暴力の連鎖を否定し、平和を願うということなのかな。それは、IRAそのものを否定するそとになり、自分自身を否定する。だから、死を選ぶしかなかった。

四場 マイケルのアパート
命令を待った方がいい、という相変わらずのマイケルと、命令なんか待つ必要はない、といきり立つトム・ビリー。焦燥感が漂うマイケルのアパート。
俺のことを抑えていたやつがいる、とトム・ビリーが言っていた。もしかして、IRAのNY支部は今となってはこのマイケルの部屋だけの小さな世界なのではないか、とも思えてくる。コステロのスピーチを聞いていた人々はもうみんなわかっていたんじゃないか。世界は変わっている。ビッグ・フェラーに否定的な言葉を投げつけたのはトム・ビリーただ一人。もしくは彼らはただの傍観者でしかなかった。27年前と変わらないのは、伝わっていないのはトム・ビリーとマイケルだけ?
ただ一方で、IRAに絡む事件は最近でも起きていて、歴史物語じゃない。


コステロが告白を決意したのが、ルエリの信念に心を動かされたからで、ルエリを救おうとしたからなら、物語としてはルエリが助かっていてもいい。
この時点ではルエリへの命令はまだ実行されていない。マイケルは疑いを持ったままだけど、トム・ビリーはルエリへの疑いを捨ててる。マイケルってわかってるんだか、わかってないんだか…。

トム・ビリーに言われるままに銃を取り出し、止めるわけでもなく、僕の車は嫌だよ、というマイケル。コステロが密告者だったことも、これからトム・ビリーがどうしようとしているのかも、なんの苦悩もなく受け入れているようなマイケルに、また心が冷える。

そんなところにやってきたコステロは、「今日のスピーチは良かったと思う。どうだった?」とマイケルに問いかけた。良かった、とマイケルが答える。戯曲も同様、マイケルは Good yeah. と答えていた。良かったって・・・f^_^;)
マイケルの計り知れない空虚はなんなんだろう。そこに重なるトム・ビリーの怒号。
コステロはマイケルだけを気にして話しかけているように見えた。答えるマイケルの声を消してしまうトム・ビリーの声を不愉快に感じてしまう。コステロの家に行ったことがあるマイケルと行ったことがないトム・ビリー。生焼けのチキンさえもらえなかった。戯曲はソーセージに書き換わってた。そこにも何か意味が?
ドアを閉めろと言われ、素直に閉めに行くマイケルを見てコステロが呟く、相変わらず言われた通りに動くんだな、という言葉には、マイケルへの失望と絶望が含まれていたような気もする。

さっきは言われる前に鍵かけた。

鍵をかけるかどうかは、判断力はそれほどいらないけどね。
銃を向けるトム・ビリーに、「マイケルにやらせろ、銃をマイケルに渡せ」とコステロが言う。なぜか。

できない、自分のやることじゃない、と拒絶するマイケルに恐怖感を覚える。じわじわと。

まだわからないのか…

彼にとっての現実は正義の味方の消防士。部活動のように楽しくお金を集めて銃弾買って、起爆装置をクマちゃんに詰めて、それがどうなるかは遠くの世界のこと。

どうもマイケル中心に観ていたせいか、コステロに対する考察が足りない気がする。…別に考察しなくてもいいんだけど。
コステロはマイケルに殺されたかったのか。

コステロが待つバスルームに押し込められたマイケルは、慟哭するように身を屈めていたように見えた。ドアが閉まり、トム・ビリーはその横に座ってそのときがくるのを待つ。銃声はしない。
しばらくしてトム・ビリーが自らの銃を手にしてバスルームに入り、やがて轟く銃声と、何かが倒れる音。
マイケルとトム・ビリー、どちらがコステロを撃ったのか。
初見は、トム・ビリーが撃ったのだと思った。でも何度か観ていると、マイケルが撃ったように思えてきた。
そして何より、浦井くんが、マイケルが撃ったんだよーとハッキリキッパリ言うからさー(>_<)

観客に解釈を任せられてはいても、役者さんとしてはどっちか決めて演じているんだろうと、それはわかる。マイケルがコステロを撃った。うん、そう言われてしまえばそれが真実になる。

でも、浦井くんの解釈と自分の感じたことか違うのは、今までもあったわけで。たとえ演者や演出家の意図と違っていたとしても、どう感じるかは私の自由だからいいのだ。

マイケルに密告者が撃てるかという問いに、ルエリは無理だ、と明確に答えた。始めから答えはそこにあったのかもしれない。30年経っても、彼は変わらない。そして流されるように変わっている。考えた末、やはり、撃ったのはトム・ビリーだと思う。タイミングも含めて。

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